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がん研究最前線

がんは日本人の死因の第一位。生命科学でがんの克服を目指す。

 

金沢大学がん研究所附属分子標的薬剤開発センター教授

須田貴司

 

(蛍雪時代 2003)

 

@ 金沢大学がん研究所は、国立大学で唯一のがん研究所として有名です。どんな施設で、どんな研究を行っているのでしょう。

当研究所は、現在、14研究分野と分子標的薬剤開発センターからなっています。発がんや、腫瘍血管の生成、がん転移、がんに対する人体の抵抗力(免疫力)などのメカニズムの解明を目指した基礎的な研究から、抗がん剤の開発、抗がん剤の使い方の研究、がんの早期診断技術の開発、内視鏡やロボットによるがんの手術方法の開発などの臨床的な研究まで、様々な研究が行われています。

 

A 現在のがん研究はどこまで進んでいるのでしょう。がんとはどういうものかということから初めて、わかりやすくお話しください。

現在、がんは日本人の死因の第一位です。私たちの体を作る細胞は、普段必要に応じて増殖し、役目を終えると死んでいきます。細胞の増殖と死はとても厳密にコントロールされていて、沢山の遺伝子がその制御にかかわっています。このような遺伝子に傷(突然変異)が出来て、細胞の増殖や死をコントロールできなくなると、がんの芽になります。放射線や紫外線、様々な化学物質や体内で生成する活性酸素などが遺伝子に傷を付ける原因になります。一方、長い間生きていればどうしても少しずつ遺伝子の傷が貯まってゆき、がんになる危険性が高くなります。がんが死因の第一位になった一つの原因は、医療の発達により、日本が世界一の長寿国となったことであるという皮肉な側面もあります。しかし、長い寿命を最後まで健康に過ごしたいというのが、誰もが願うことであり、そのためにはがんの克服がどうしても必要なのです。

がんは昔に比べれば格段に直るようになって来ました。その大きな理由は、がん検診が普及すると同時に、がんを小さいうちに発見する技術が進歩したことです。これによって手術による根治が可能ながんが増え、手術法もより患者さんの負担の少ないものが開発されています。エックス線や超音波を使って体の深部にある小さながんを発見し、その位置を正確に画像化したり、超小型カメラと細い術具を小さな穴から体内に挿入し、がんを切除する方法などが開発されています。一方、発見が遅れてがんがあちこちに転移してしまうと、手術が不可能になったり、手術しても再発してしまう場合があります。そのような場合は、放射線や抗がん剤などを使った治療が行われますが、根治は難しくなって来ます。それでも少しでも多くの患者さんが一日でも長く快適な生活を続けられるよう、様々な治療法が研究され、行われるのです。

細胞の増殖や死に関係する遺伝子のうち、特にがんとかかわりの深い遺伝子はがん遺伝子、がん抑制遺伝子とよばれ、それらの機能が詳しく解明され、どの遺伝子にどのような傷がつくとがんの原因になるのかがわかって来ました。がん細胞の芽が出来てもそれが全て病気としてのがんになるわけではありません。私たちの体内には、がん細胞の芽を探し回り、見つけると殺してしまうような免疫細胞がいることがわかってきました。このような免疫細胞の監視から逃れたがん細胞だけが、病気としてのがんになるのです。また、がんが転移するメカニズムも少しずつわかって来ました。血液細胞以外のほとんどの細胞は、正常ならあまり動き回りません。細胞と細胞の間をうめている細胞間基質と呼ばれる構造にしっかりと囲まれていているためです。この細胞間基質を壊してしまうような酵素を沢山作るようになったがん細胞は転移しやすくなります。

 

がん細胞を自殺させる

B 先生の研究されているアポトーシスとがんについてお話しください。

がんは異常な細胞がどんどん増えてしまう病気ですが、正常な細胞でもある程度は増殖します。正常な細胞は増えた分だけ死ぬことにより、細胞が増えすぎないようにコントロールされているのです。がん細胞が増え続けてしまう本当の原因は、細胞の増殖と死のバランスが崩れ、増える数が死ぬ数より多いと言うことなのです。正常な細胞が正常に死んでいくときの代表的な死に方がアポトーシスです。また、放射線や化学物質、熱、ウイルス感染など様々なストレスで傷ついた細胞は、修復不能なレベルに達するとアポトーシスを起こして死ぬ様にプログラムされています。このメカニズムががん細胞の出現を未然に防ぐ重要なものなのです。免疫細胞ががん細胞やウイルス感染細胞を殺すときにも、実は殺すというより自殺を促しているのだということがわかって来ました。我々の細胞は全て、自爆装置を内蔵しているのです。この自爆装置を構成する多くのタンパク質や一連の生化学反応が、この10年間でかなり詳しくわかって来ました。自爆のスイッチや仕掛けには沢山の種類があり、遺伝子に傷がついたのか、免疫細胞が自殺を促すのかなど、原因によってそれぞれ異なります。ですから、あるがん細胞で、いくつかの自爆スイッチや仕掛けに異常があり、それが原因で死ににくくなっていても、別のスイッチを押してやれば、簡単に自殺させることができるのです(図)。我々の研究室では主に免疫細胞が使う、ある自爆スイッチを作動させる鍵に相当するFasリガンドというタンパク質の機能や、がんを始めとする様々な病気との関係を研究しています。Fasリガンドを使ってがん細胞を自殺させることは可能ですが、正常な細胞も自殺させてしまうので、使い方の工夫が必要です。最近の研究からFasリガンドは細胞死を誘導するだけでなく、炎症誘導作用も持ち、肝炎などの炎症性疾患や、慢性肝炎にともなう肝がんの発症にも関係している可能性が出てきました。Fasリガンドをうまくコントロールする薬が出来れば、肝炎の治療や肝がんの予防に役立つのではないかと期待しています。

 

C 今後のがん研究についてその方向性・将来性をお話しください。

細胞の増殖や死をコントロールする遺伝子の働きを制御できるようになれば、がんの治療や予防に役立つと期待されます。また、がん細胞に栄養を送り込む血管(腫瘍血管)を選択的に破壊できれば、がんは自滅します。また、がん細胞の転移を抑制できるようになれば、手術可能ながんがさらに増え、がんの再発も防げるようになるでしょう。このように、発がんや、がんの悪性化のメカニズムが分子レベルで理解されるようになってくると、がん治療の標的となる分子に狙いを定め、理論的に抗がん剤をデザインすることが可能になってきます。このような考えが、分子標的薬剤開発と呼ばれるものです。これにより、新しい抗がん剤を開発したり、開発にかかる時間とコストが大幅に削減できるようになります。

一人ひとり人の顔が違うように、がん細胞はそれぞれ個性があり、一つの治療法が全てのがんに同じように有効というわけではありません。沢山の治療法が開発されても、がんの個性がわからないと、最適な治療法を選択できません。抗がん剤や放射線による治療は副作用も大きいので、効果のない治療をやめるだけでも、患者さんの負担を大きく減らす効果があります。では、どのようにしてがん細胞の個性を知ることが出来るでしょうか。今、最も期待されているのは遺伝子診断です。最近、人間の全ゲノム配列が明らかにされました。これを利用して、がん細胞の中でどのような遺伝子の発現が増え、あるいは減少しているのかを網羅的に調べる事ができるようになりつつあります。また、全染色体に分布する何万箇所にも及ぶ遺伝子配列の個人差が見つけだされ、それを目印に個々人の遺伝的特性を診断する技術の開発が行われています。これらの技術が確立すると、どのがんには、あるいはどの人にはどの治療法が良く効くのかという情報が治療前に得られるようになり、最適の治療法が施せるようになると期待されます。

 

D 医学を志望する受験生にメッセージをお話しください。

近年の、そしてこれからも益々加速すると考えられる生命科学の目覚ましい発展は、将来、様々な病気の克服を可能にすると期待されます。しかし、生命科学で得られた知識や技術を新しい医療技術として確立するには、まだ実際の患者さんで効果の確かめられていない段階で、注意深く患者さんに試してみるという段階を経なければなりません。これをトランスレーショナルリサーチと呼んでいます。このような先進医療を担う人材として、病気を最先端の生命科学の手法で研究する能力と、人の心と体をケアする医師としての能力を合せ持つような人材が求められています。医学部を志望する学生さんの多くは、将来、目の前の患者さんを救う医者になることを目指していると思います。しかし、医学部の学生さんの内の何割かは、未来の医療を開拓するために、生命科学研究者としての能力を合せ持つ医師を目指して欲しいと思います。そのためには、医学部を卒業した後、大学院生として基礎医学の研究室に進学し、研究者としての能力を身に付けるという道があります。がん研究所は、金沢大学大学院医学系研究科と連携して大学院教育に参加しています。未来の医療に役立つ研究をしたいと考える学生さんには、ぜひそのような道があることを知っておいて欲しいと思います。

 

アポトーシスを利用した新しいがんの治療戦略

説明: 蛍雪時代図